ヨーガの定義は思想や流派によって微妙に違うことを前提に、ヨーガ学派の捉えるヨガは以下となります。
yogaḥ cittavrttinirodhaḥ (YS1.2)
ヨガとはマインドのアップダウンを穏やかにすること
yogaḥ :
citta : mind
vṛtti : activities, movement, fluctuations
nirodhaḥ : still, restraint, stopping
samatvam yoga ucyate (BG2.48)
マインドが落ち着いた状態をヨガと呼ぶ
samatvam : equanimous
yoga :
ucyate : called
yogaḥ karmasu kauśalam (BG2.50)
ヨガの状態において何をしても上手く(完璧に)できる
yogaḥ :
karmasu : action
kauśalam : skillful
duḥkha samyoga viyogaḥ yogaḥ (BG6.23)
強力な密着による苦しみを切り離すことがヨガ
duḥkha : suffering
samyoga : very close connection
viyogaḥ : detachment
yogaḥ:
つまり「頭の中のおしゃべりを静かにさせる」という土台が哲学に基づく練習にはあるんです。
その鍵は「呼吸」なので、練習では徹底的に呼吸にフォーカスする内容で進めていきます。
必ずしもヨガ(アーサナ)をすることを指すわけではない、サンスクリット語としてポピュラーな''ヨーガ''という言葉の持つ意味については以下の通りです。
Yujir Yoga:統合すること、融合すること、ひとつにすること
Yuja Samadhau:マインドをクリアにすること、マインドに静かにすること
Sannahanam:目的に向かうための準備
Upayam:目的に到達するための手段
Sangati:ひとつにすること
Yukti:知性
Dhyanam:メディテーション
ヨガは呼吸が大切ってよく聞くけれど、難しいし、苦しいし、よくわからないってのが正直なところだったりしませんか?
その理由は、基本的なひとつの原則が伝えられていないからなんです。
「息を吸った後1~2秒止めて 息を吐いた後1~2秒止める」
コツは、息を吐いた後にすぐ吸わないこと。
簡単なようでいて、集中するためには必要不可欠なテクニックです。
Tirumalai Krishnamacharya (November 18, 1888 – February 28, 1989)
「現代のヨガの父」と称されるクリシュナマチャリア師はヨーガのみならず、インド哲学の6学派すべての学位を保持する、ヴェーダのエキスパートでした。
2012年(日本では2016年) には、師のドキュメンタリー映画『聖なる呼吸 / Breath of the Gods』が公開されましたが
残念ながら、この映画では呼吸についてほとんど語られていません。
古い文献に基づき“呼吸”を柱にしたヨガを構築した師の教えは、Surgery without Instruments (器具を使わない手術)と表現され
などを大きな特徴としています。
KYMが作成したクリシュナマチャリア師のビデオ(翻訳なし)はこちら⬇︎
これはヨガの流派のひとつではなく、ヨガの経典 ヨーガスートラにも示されているコンセプトです。
そのことばの意味は、1人1人個別にヨガのツール(手段)を適用すること。
ヴィニヨガには以下を考慮しながらコースプランニングすることをさします。
そして本人のキャパシティやライフスタイルをベースに、目的に合わせて練習を構築します。
・・・
ヨガに対して、どういった目的で何を期待するのかといえば、インドの母校でも日本と同じく、初めは体の不調でいらっしゃる方がほとんど。
または、ストレスマネジメントのためだったり、ライフスタイルを変えたいという方も多いです。
こうして継続されている方は、マインド(思考・感情・気分)を穏やかにすることで症状が改善されたり、気になっていたことが前よりも良くなったと実感しています。
ですが、マインドはひとたび穏やかになったら、永遠に穏やかというわけではありません。
思考がクリアで感情が安定していること、前向きな気分であることは、満足できる日常生活を支える基盤ですよね。
つまり、歯磨きしたりお風呂に入ったり、お洗濯したりお掃除したりするように、ヨガの練習は私たちの現実生活をサポートするもの。
これが、師の伝統を受け継ぐアーカーシャの、ヨガに対する考え方です。
アーカーシャでは、ヴィンヤーサクラマというテクニックで練習を行っています。
みなさんには、ヴィンヤサという言葉の方が親しみがあるかもしれません。
ヴィンヤサは、太陽礼拝のようにいくつかのアーサナを1呼吸1動作で連続して行うスタイルを指します。
一方のヴィンヤーサクラマは、ひとつのアーサナを1呼吸1動作で行うことを基本に、完成形でとどまること(ステイ)も含まれます。
これはヨガの経典 ヨーガスートラが示すアーサナの定義(マインドと体の両方ともが安定して快適であること)を満たすための手法です。
その鍵は、やっぱり呼吸で
アーサナはform/形・外見じゃなくfunction/機能・働きが大切と教わってます。
そのことでマインドは穏やかになるし、プラーナ(気)が増幅することで五感や思考がクリアになるんです。
また、頭で考えすぎてる状態やアグレッシブすぎる気分を落ち着けることに関してはアーサナが得意とするところで
ただじっと座って、いわゆる『無』になるという瞑想をするよりも、正しく練習するなら、驚くほど短時間で効果を出せます。
私たちの体にはナーディという、目には見えない、神経よりも微細な、プラーナが流れる経路があると考えられています。
プラーナは生命力/エネルギーを意味し、ナーディという経管に流れます。
この経管は現代の技術で確認することができませんが、72,000本(もしくは72,000本が対になっている)体中に張り巡らされていると言われています。
目に見えるぐらいの太さを持つ血管ですら詰まるのに、目にも見えないナーディはある種、大変詰まりやすいのではないかと想像できますよね。
ナーディが詰まると、そこからエネルギーが外に漏れてしまい、全体のプラーナの量が減ってしまいます。
プラーナが少なくなると、疲れやだるさなど体の変化を感じます。
目がかすんだり耳が聞こえにくくなったり、、といった五感にも症状が出ます。
さらには、集中できない、思い違いをする、忘れっぽくなる、、などのマインドにも症状が出ます。
これらの症状は、睡眠や食事や入浴や適切な運動などによって、ある程度は改善されます。
ただ、ナーディの詰まりを取らないと根本的解決にならないのです。
そのソルーションがプラーナーヤーマ(呼吸法)で、無意識の呼吸を意識的にすることをプラーナーヤーマと呼びます。
加えてプラーナーヤーマはマインドの汚れをクリアにする強力な手段で、瞑想にふさわしい状態になるために必須です。
つまり、瞑想のために呼吸法があると言っても過言ではないのです。
瞑想やマインドフルネス、アウェアネスという言葉がポピュラーになってきて、興味を持ったりすでに実践されている人も多いと思います。
たくさん開いているパソコンのタスクを終了させて、ただひとつのことだけに集中することが瞑想です。
一方で、ヨガスートラがさす瞑想はもう少し深い意味合いがあります。
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ヨーガスートラ 3章1節
deśabandhaḥ - cittasya dhāraṇā |
deśa : one direction, object
bandhaḥ : to tie, bind
cittasya : of the mind
dhāraṇā :
ダーラナー(一点集中)では、(ポジティブな効果をもたらす)対象を選びその対象に留まること。
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ヨーガスートラ 3章2節
tatra - pratyayaikatānatā - dhyānam |
tatra : that (dharana)
pratyaya : process/movement of mind
eka : one
tānatā : to stretch
dhyānam :
そこ(ダーラナー)から、ひとつの対象に留まり続けるマインドの作用をディヤーナ(瞑想)という。
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ヨーガスートラ 3章3節
tadeva - arthamātranirbhāsam - svarūpaśūnyamiva - samādhiḥ |
tad : the
eva : same
artha : meaning
mātra : only
nirbhāsam : shining
svarūpa : the self
śūnyam : absence
iva : as if
samādhiḥ :
(ディヤーナと)同じプロセスで、じぶん(という意志)がなくなるかのように対象そのもののそのままだけが存在することを理解(サマーディ)という。
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ヨーガスートラ 3章4節
trayamekatra - saṁyamaḥ |
trayam : 3
ekatra : become together
saṁyamaḥ :
これら(ダーラナー・ディヤーナ・サマーディ)の3つがひとつになることをサムヤマという。
インド哲学(Visnu Purāna)がいうところの、じぶん以外のものが原因になる苦しみを回避するためのソルーションとしてヤマを紹介しています。
とはいえ言うは易く行うは難しなのがヤマ。
ヤマを順守するためには、次の項目にあるニヤマの理解が要求されるのも事実です。
インド哲学(Visnu Purāna)がいうところの、強い欲望・怒り・強欲さ・思い込み・傲慢さ・嫉妬 etc.といったマインド(思考)の汚れが、病気の元だったりトラブルの元になるもの。
つまり、じぶん自身が原因になる苦しみを回避するためのソルーションとしてニヤマを紹介しています。
ニヤマの全体コンセプトは浄化で、ヤマの前にニヤマの理解が必要という根拠は、何はともあれマインドの汚れをクリアにすることが要求されるからなんです。
八段階じゃなく八支という意味があるアシュタアンガの中でも、バヒランガ(外的)とアンタランガ(内的)には分けられます。
長くヨガを実践しているとアンタランガな練習しかしない人もいますが、アンタランガ・サーダナのためにはプラッティヤーハーラ(感覚の制御・コントロール)が必要です。
つまり、バヒランガな練習も不可欠なわけです。
ただ、そのためにかける時間は短くなるかもしれませんね。
このように8つに分かれた枝葉の1つ1つがお互いを補完し合っていることからも、ヨーガ学派によるヨガは実践してこその哲学だとおわかりいただけましたでしょうか。
実践と理論と哲学を包括的に捉えたアーカーシャのヨガに、ぜひ触れてみてくださいね🌈✨